引き算
- マサ7110
- 2018年10月24日
- 読了時間: 3分
『足し算ではなく引き算で考える』
凡人はとかく足し算で物事を考えてしまう。
レポートを書いたり、人前で話をする際に、いろんなことを詰め込むあまり本当に伝えるべきことが何だったのかを忘れてしまったりすることはないだろうか。
アレもしたい。コレがほしい。
足し算の思考で生きる人々は飽くなき欲望と虚栄心に支配され、氾濫する情報の津波に飲み込まれていく。
仕事や物事を引き算で考えると上手くいくとある本に書いてあった。
引き算
足すことよりも引くことを優先し
無駄を捨て、贅肉をこそぎ落とすことで物事の本質にフォーカスする。
焦点を絞る。
スティーブ・ジョブズは言った。
「イノベーション(技術革新)はすべてのことにイエスということではない。
それは最も重大な機能を除いて、他の全てにノーを突きつけることだ。」
従来の携帯電話から「ケータイとはこうである」という固定概念を排除し、
驚くべきイノベーションを成し遂げた男の言葉である。
天才や、職人と呼ばれる人の脳には、この「引き算的思考」という考えがあるのかもしれない。
季節は秋。食欲の秋。
私は開店前のラーメン屋に並んでいた。たまたま空腹時に通りかかった店には開店前にもかかわらず数人の列ができていた。興味が湧いた私もそこに並んだ。その後十分あまりで私の後ろには長蛇の列ができていた。私は運が良かったのだ。
店が開き、カウンターへと案内される。笑顔を絶やさず低姿勢な店員の接客は百点満点だ。
水も普通のコップではなくステンレスタンブラーのようなグラスで出てくる。
よしよし前奏までは完璧だ。私の胃袋から期待が膨らむ音がする。
一番人気の中華そばを注文して数分後、目の前にそいつが置かれた。
動物系の油を一切使っていないという、澄み切った湖のようなスープには、細かくきれいに刻まれた白ネギが一輪の花のように咲いている。分厚く切られたチャーシューは存在感こそあれ、厚かましさを感じない。麺は細いストレート。
一口啜る。うまい。「和」だ。昆布だしをベースに優しいまったりとした甘さが下を包む。
「すっきり」と言うよりは「じんわり」と、複層的で奥行きのある味わい。ラーメンとしては決して王道ではないはずだが、なぜか王道然を感じてしまう。
初めての、しかしどこか懐かしい味わいが、濃厚至上主義思想に取り憑かれトンコツに骨の髄まで侵食されている私の脳内に尺八の調べが響かせていた。
トッピングにとろろ昆布や柚子、薬味は一味、七味唐辛子。どれにもこだわりを感じる。
しかし、半分ほど食べて私は気づいてしまった。
コレ蕎麦だ。私は蕎麦を食べてるんじゃないだろうか。
ゆずを入れてからその思惑は加速する。蕎麦だ。すごくさっぱりした美味しい蕎麦だ。
とろろ昆布を入れるといよいよただのお吸い物になった。一緒に頼んだ和牛飯との相性も最高だ。だって蕎麦だもの。懐かしくて当たり前だよ。
店長の目線が気になる。ずっと私を見ている。そりゃそうだ。
コレは蕎麦なのかラーメンなのかずっと自問自答しながら難しい顔をしてラーメンを食べているのだ。おそらくラーメンブロガーだと思われている。
「どうだい?俺の渾身の一杯は?」って顔している。たしかにあんたの一杯は最高だ。
ただこれは蕎麦だ。
店長はラーメンを突き詰めるあまり、「中華そば」から「中華」を引き算してしまったのだ。引きすぎだろ。確かに極上の一杯だがこれはラーメンにあらず。
食べ終わり、私は店を出た。二度と忘れることのない一杯だった。そして、なぜかわからないが、二度と食べることもないだろう。そんな気がした。
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