由来は「オリンピックに出場した父親は自分の中では神。だから俺は神の子」なんだって。
- マサ7110
- 2018年9月18日
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KIDが死んだ。山本KID徳郁が死んだ。あの神の子が。あの4秒KOのKIDが。
対戦相手は魔娑斗でも須藤元気でもホイラー・グレイシーでもない。ガン細胞だ。
私が中学生の頃はK-1の全盛期だった。
当時 「K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜」 でK-1初参戦したKIDは瞬く間に頭角を現した。
私はKIDが嫌いだった。KIDは信じられないくらい強かった。総合ルールでも問題なく相手を倒し、ホイラー・グレイシー、宇野薫、須藤元気など強豪たちを撃破し、宮田和幸との試合ではまさかの「4秒KO」を成し遂げた。
試合後のマイクで「ヤバイ、かっこ良すぎる、俺」と自画自賛した神の子が俺は嫌いだった。 いつも思っていた。「誰かこいつを完膚なきまでに倒してほしい。」
格闘技ファンだった私はいつかプロ格闘家になるのが夢だった。しかし、将来身長が185くらいまで伸びると思っていた私は、神の子と階級の壁を感じてしまっていた。将来私が彼を倒すのは無理だ。「誰かこいつをやってくれ。」
そう思っているうちに私は高校に上がり。なんか忙しくなってあまりテレビを見なくなった。
そのうちに格闘技ブームを終焉を告げ、私の中で神の子は遠い思い出になっていた。
一昨年の年末、久しぶりにKIDを見た。山本アーセンvs所英男の試合でアーセンのセコンドに付いていた。試合は所英男が勝利。リング状でKIDに対戦要求するもKIDは一礼して出ていってしまった。
「そういえばKIDは何かと所を遠ざけていたな。おそらく所の戦術が苦手なのだろう。」
所なら十年越しの私の願いを叶えてくれるかもしれない。あの頃のワクワクが蘇ってきた。
先月末、KIDがガンを公表し、そして亡くなった。ひょっとしたら、セコンドをしていた時、すでに病状は良くなかったのかもしれない。
調べてみると、私が格闘技から遠ざかっていた頃、KIDはケガをし戦績が急降下していた。立ち技でも総合でもレスリングでも負けまくっていた。神の子は輝きを失っていった。
私は泣きそうになった。自分でも理由がわからない。
Twitterで芸人のハチミツ二郎さんが激怒していた。
「試合も弱くガンにも負けた。」というコメントがネットにあったらしい。
「どういう生き方したらそんなクソみたいなコメントできるんだ!」
文章から怒りが伝わってきた。
私はKIDが嫌いだ。しかし、彼の戦い振り、生き様を尊敬する。リングで戦い、ケガと戦い、ガンとも戦った。結果は負けてしまったが、ギブアップはしていない。フルラウンド戦い抜いての判定負けだ。
「闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう。」
中島みゆきが「ファイト!」で歌ったように、どれだけ一生懸命生きていてもその姿を嘲笑うやつは出てくる。そいつらは戦ったことがないのだ。どれだけ喚こうがその声はリングに立っている選手には雑音となり聞こえない。眼の前の選手をぶっ飛ばすことしか頭にないのだから。気にする必要はない。
何はともあれ、かつてのライバル予定者がこの世を去った。それはすごく悲しい。
さよなら神の子。今でも4秒KO、飛び膝蹴りのシーンは脳裏に焼き付いてるし、それの攻略方は十二年前に開発している。夢であったらカウンター決めてやる。
山本KID徳郁選手のご冥福をお祈りします。
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